2017.10.23

外傷性くも膜下出血の親父の介護(2016)

今日の親父は、いつものように起きて、終日、家の中にいた。僕はと言えば、午前4時ごろ、福井市の洪水注意報で携帯電話が鳴動し目が覚めて、しばらく眠れなかったせいで、日中、眠たかった。それ以外、これといって変わったことはなかった。(LW)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.10.22

外傷性くも膜下出血の親父の介護(2015)

今日の親父もいつもより、40分ぐらい遅く起きたが、あとは終日、家の中にいた。僕もずっと家の中にいた。そして、一日中、雨が降っていた。で、結局、衆議院選の投票には行かなかった。あと、寒くなったので、ネット通販で安い電気敷き毛布を、親父用に購入した。(LW)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.10.21

外傷性くも膜下出血の親父の介護(2014)

今日の親父は、いつもより40分ぐらい遅く起きたが、あとはいつものように終日、家の中にいた。僕も、特に変わったことは無かった。(LW)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.10.20

外傷性くも膜下出血の親父の介護(2013)

今日は親父のディサービスの日。いつもよりちょっとだけ早く起こして、ディサービスに送り出した。それから雑用。そして、仕事の打ち合わせで県庁まで行ってきた。3、40分ぐらいで打ち合わせが終わり、県庁の食堂で昼食を食べた。それから、買い物をして帰った。やがて、夕方になり、いつものように相も変わらす、親父が戻ってきた。(LW)

Blog171020A今日は、笑わしてパチリ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.10.19

外傷性くも膜下出血の親父の介護(2012)

今日の親父は、いつものように起きて、いつものように終日、家の中にいた。で、今日、家に親父の介護保険被保険者証が送られてきた。見ると「要介護4」、要介護が来月から3から4になるようだ。それから、親父担当のケアマネージャーさんが家にやってきて、そう判定された説明を受けた。そして、不服があれば再鑑定してもらえますけど、と言われたが、それでいいと答えた。ただ、利用料の値上がりが気になったので尋ねたら、これまでの介護サービスの利用だと、月1千円、年間1万2千円ぐらいだとか。それならいいですと、答えた。それから、介護についての面談を受けた。そして、今のような在宅介護を続けたいという希望を伝えた。(LW)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.10.18

外傷性くも膜下出血の親父の介護(2011)

今日の親父は、いつものように起きて、いつものように終日、家の中にいた。僕にも別に変ったことはなかった。ただ、久しぶりに旧知の仲のTさんから電話があった。Tさんは、田淵さんや藤岡さんとも面識があったので、彼らの訃報を知らせた。すると、「そうそう、長く生きていても、良いことあるような世の中ではないからねー」みたいにことを言った。確かに、今の日本、10年後20年後まで生きたいと思わせるような社会ではないだと思う。(LW)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.10.17

外傷性くも膜下出血の親父の介護(2010)

今日は親父のディサービスの日。いつものように起こして、いつものようにディサービスに送り出した。ただ、背中にかすり傷のようなものがあるので、いつも着替えの前に絆創膏とかで手当てをするのだが、そういう処置をしている間にも親父は、それを剥がすので二度手間、三度手間になってしまう。今日もそういうことがあって、ちょっと焦ったが、なんとか、お迎えに間にあった。そうして、送り出し、雑用をして、本当は、仕事の打ち合わせで出掛ける予定だったが、キャンセルになったので、一日、うちにいた。そして、夕方になって親父が戻ってきた。今日は少し遅かったが、送りの車に同乗していた叔母が、他所に回っていたから遅くなったと教えてくれた。(LW)

Blog171017Aお出かけ前の親父。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.10.16

外傷性くも膜下出血の親父の介護(2009)

今日の親父はいつものように起きて、いつものように終日、家の中で過ごした。僕にも、これといって変わったことはなかった。ただ、昨日、かかってきた知人の電話で、昔勤めていたソフトウェア会社の課長、田淵さんが数年前に亡くなったいたことを知った。それで、FaceBookで繋がっているその時の先輩にメッセージを送って確かめると、やはりそうだった。数年前、渓流釣りをしている時、転落して亡くなったらしい。その田淵さん、僕が入社した時の直属の上司。もう一人、高専卒で入社した男性社員がいたが、田淵さんとはソリが合わず、入社した初めてのボーナスの支給日の後、会社を辞めてしまった。それからは、田淵さんは勤務地が別のところになり直属でも無くなったので、ことさら、その時の印象が残っている。それから、その時の先輩、藤岡さんも何年か前に、仕事先で突然死したらしい。藤岡さんは、確かぼくと同じ高専卒で、それ故、かわいがつてもらった覚えがある。その会社で最後になったプロジェクトのメンバーで、その頃、僕はサブリーダーで少々、天狗になっていて、それを藤岡さんに「お山の大将ではだめだよ、大久保君」と言われ、それがきっかけで現地で口喧嘩になったことがあった。それが、いまでも、仕事がトラぶって悩むと、決まって「御山の大将」と言う言葉を思い出す。そして、そういうことを思い出しながら、しばらく、黙とうをした。(LW)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.10.15

外傷性くも膜下出血の親父の介護(2008)

今日の親父は、いつものように起きて、いつものように終日、家の中にいた。ただ、僕が朝、出掛けなければならなかったので、朝食を台所ではなく、居間で食べさせた。で、僕は言えば、午前中、まずはイノシシ対策の電気柵の草刈りに出掛けた。でも、現地に行っても町内の同じ班の人には誰にも会えず、一人で、担当の場所を時々、草刈りしながら歩いた。いくら、僕が親父の介護で10分ぐらい遅れたとは言え、誰にも会えなかったのは、ちょっと変。それから、帰ってシャワーを浴びて、ガス屋さんの展示会を見に出掛けた。といっても、行って粗品をもらってうどんを食べただけなのだが。そうして、買い物して帰った。午後は、昔勤めていた会社の人から電話があった。(LW)

Blog171015A電気柵

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.10.14

外傷性くも膜下出血の親父の介護(2007)

今日の親父は、いつもより1時間ぐらい遅く起きたが、あとは終日、家の中にいた。僕はといえば、午前中、僕が市の施設でパソコン講座の講師をやっていた時の受講生がやってきた。そして、「先生のところに、フロッピーディスクが読めるパソコンありますか?」と尋ねたので、古いパソコンを出してきて対応した。結局、うちのパソコンでは正しく読めなかったのだが、どうすればいいかをアドバイスして、帰ってもらった。他には、何も変わったことはなかった。(LW)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«外傷性くも膜下出血の親父の介護(2006)